26年前、名古屋の住宅街で一人の女性が命を奪われた。
被害者の名は、高羽奈美子さん(当時32)。
そして2025年、長く止まっていた時が動き出す。
逮捕されたのは、奈美子さんの夫・高羽悟さんの高校時代の同級生。
その名を、安福久美子(69)という。
――「まさか、自分の知っている人間が犯人だなんて」
悟さんの言葉には、安堵でも怒りでもない、
26年分の“理解できない現実”への戸惑いがにじんでいた。
二人が知り合った高校──すべての始まりは「惟信高校」だった
二人の出会いは、名古屋市港区にある愛知県立惟信高校。
当時の悟さんは明るく面倒見の良い性格で、友人も多く、
一方の安福さんは物静かで控えめ、教室の隅でいつも静かに本を読んでいるタイプだった。
高校時代──“おとなしい同級生”の静かな視線
悟さんと安福容疑者が出会ったのは、高校時代。
同じクラス、同じ部活。
だが、特別な接点があったわけではない。
悟さんの記憶の中で、安福容疑者は“控えめで目立たない女の子”。
成績は良く、いつも静かに過ごしていた。
「自分から話しかけてくるタイプじゃなかった」
そう悟さんは振り返る。
だが、当時の彼女は密かに悟さんに淡い好意を抱いていたようだ。
バレンタインのチョコ。
短い手紙。
思春期特有の、慎ましいアプローチ。
悟さんはその思いを深く受け止めることなく、
“よくある高校の思い出”として記憶の片隅に置いたまま、時を進めていった。
その「何でもない距離感」こそが、
後に彼の人生を狂わせる起点になるとは、誰も想像できなかった。
大学時代──忘れた記憶、妹が覚えていた“涙の喫茶店”
年月は流れ、悟さんは大学へ。
そこで起きた“もう一つの再会”が、26年後の事件報道で甦る。
安福容疑者が大学まで悟さんを訪ねてきた――。
悟さんは当時のことを「全く覚えていなかった」と語る。
だが、妹の証言によると、こうだ。
「お兄ちゃんが大学時代、彼女が追いかけてきて、喫茶店で泣き出したって話してた」
悟さんにとっては些細な“昔のトラブル”。
しかし妹は、その出来事を鮮明に覚えていた。
兄が「困った」「どうすればいいか分からなかった」とこぼしていたのだという。
彼女は何を伝えたかったのか。
なぜ、泣いたのか。
それは今となっては、誰にも分からない。
けれど、その涙の裏には――
「自分の存在を認めてほしい」という切実な願いがあったのかもしれない。
悟さんにとっては、遠い過去の出来事。
だが、安福容疑者にとっては“心が止まった瞬間”だった可能性もある。
事件の5か月前──運命のOB会、ふたたび交わる視線
1999年春、悟さんは高校のOB会に出席した。
そこで、思いがけず安福容疑者と再会する。
彼女は明るい笑顔で話しかけてきた。
「結婚して、仕事もして、頑張ってるの」
悟さんはその姿に驚き、
「高校の時よりずっと明るくなった。吹っ切れたんだな」と思ったという。
それは、ごく普通の再会。
穏やかで、何の波風も立たない会話。
だが、警察はこのOB会こそが事件の転機だと見ている。
もしかすると、彼女の中で26年前に止まっていた感情が、
再び目を覚ましたのかもしれない。
「彼は私を覚えていない」
その現実が、彼女の心の奥にあった“静かな狂気”を刺激した可能性がある。
26年後の衝撃──「自分の関係者か…」という言葉の重さ
2025年秋。
警察から突然の連絡が入る。
「西署に来てほしい」
そして、告げられたのは――「今夜、逮捕します」。
悟さんは驚き、息をのんだ。
だが次の一言に、さらに衝撃を受ける。
「相手はあなたの関係者です」
悟さんは思わず、こう呟いた。
「捕まったのはいいけど、自分の関係者か……奈美子に悪いことをしたな」
26年間、妻の死に向き合い、時効撤廃の運動にも関わってきた悟さん。
それでも、**“まさか自分の知る人が犯人だとは”**という現実は受け止めきれなかった。
「ずっと透明人間みたいだった」──悟さんの中の“存在しない彼女”
悟さんは番組で、こんな言葉を残している。
「ずっと透明人間みたいだった。体は覚えているけど、顔が何も思い出せない。」
この言葉は、ただの記憶の曖昧さではない。
彼にとって、安福容疑者は“存在していなかった”のだ。
つまり、記憶の中で“透明”にされていた人物。
だが、その“透明さ”こそが、
彼女にとっては最もつらいことだったのかもしれない。
「誰にも見られない」「誰にも覚えられない」――。
その孤独が、心の中で歪み、やがて破裂した。
悟さんにとって、彼女は“何でもない人”。
だが、彼女にとって悟さんは、“全ての始まり”だったのだ。
科学が追いついた26年目の真実
事件を動かしたのは、時効撤廃とDNA解析。
悟さんは被害者遺族の会「宙の会」の代表として、
長年、殺人罪の時効撤廃を訴え続けた人物でもある。
2010年、殺人の時効はついに撤廃。
それがなければ、この逮捕はなかった。
皮肉にも、悟さんが自ら推し進めた「時効撤廃の声」が、
26年後に“自分の人生を変える真実”を導いたのだ。
終わりに──“誰かの心に残る”ということの重さ
悟さんと安福容疑者。
二人の関係は、決して恋でも友情でもない。
ただ、一方が忘れ、もう一方が忘れられなかった関係だ。
それは「静かな悲劇」だった。
人は誰かの心に残ることを願う。
でも、“残り方”を間違えると、それは歪んだ執着になる。
悟さんの言う「透明人間」という言葉は、
彼女の孤独、そして事件の本質をすべて映している。
誰かに覚えられたい。
誰かの中に存在したい。
その願いが叶わなかった時、
人はどこまで壊れてしまうのだろう。
26年の歳月を経て、ようやく明るみに出た真実。
だが、悟さんの胸に残るのは、
「どうして気づけなかったのか」という静かな後悔だけだった。
🕯 透明人間のようだった彼女。
でも、彼女はずっと“悟さんを見ていた”のかもしれない。









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