関西レゲエ界を語るうえで、この名前を外すことはできない。
寿君(ことぶきくん)──。
等身大の言葉で人の心に寄り添い、
まっすぐな声で現場を熱くする男。
華やかな都会の光ではなく、地元・奈良の山あいから自分の音を育て、
関西という“レゲエ激戦区”で生き抜いてきた。
彼の歌には、「生きること」「愛すること」「仲間を信じること」──
そんな人間の本質が詰まっている。
この記事では、そんな寿君のプロフィール、学歴、経歴、そして知られざるプライベートに迫り、
ひとりのアーティストの“生き方”をじっくり掘り下げていく。
プロフィール|奈良の“山の王”が関西を制した理由
寿君の本名は上西寿弥(かみにし としや)。
1985年11月8日生まれ、奈良県生駒市出身。
“寿”という字には「長く幸せであれ」という願いが込められている。
その名前の通り、彼の音楽には人の幸せを願う温度がある。
芸名のルーツは、彼が活動初期に名乗っていた「MOUNTAIN KING」。
地元・生駒の山を背景に、レゲエの頂点を目指す“山の王”としてステージに立った。
それはまだ無名の青年が、自分の存在を音で証明するための挑戦でもあった。
2010年、RED SPIDERのJUNIORによって「寿君」という名が授けられる。
それは彼の音楽が、“王者の志”から“人々の幸せを願う温もり”へと進化した瞬間だった。
現在、所属はイドエンターテインメント。
YouTubeチャンネルでは登録者8万人、再生回数2000万回を突破し、
ライブ・フェスへの出演も増加。
決して派手ではないが、地に足をつけてファンと向き合う姿勢が、多くの支持を集めている。
MCとしてもシンガーとしても「現場主義」を貫くその姿勢は、今の時代には貴重だ。
学歴|奈良で育った感性と、音楽への“早すぎる目覚め”
寿君の音楽性を形づくったのは、地元・奈良という穏やかな街。
自然が多く、夕暮れ時に山々がオレンジ色に染まるその風景は、
彼のメロディやリリックの“温かみ”を生み出したのかもしれない。
中学時代にはすでに音楽への関心を強く持ち、地元の友人たちとHIPHOPやレゲエを聴きあさっていたという。
当時、関西ではレゲエイベントが急増し、クラブカルチャーが盛り上がっていた時期。
そんな流れの中で、彼は“現場で感じる音の熱”に惹かれていった。
高校や大学などの学歴は公表されていない。
しかし、21歳で本格的にステージデビューしていることから、
高校卒業後はほとんどの時間を音楽に費やしていたことがうかがえる。
同世代が就職や進学で迷っている時期に、彼は“音楽で生きる”と決めた。
それは決して軽い選択ではない。
地元の仲間と夜通しセッションを重ね、失敗しながら少しずつ技術と自信を積み上げていったのだ。
いわば、彼にとっての“学校”はマイクを握るステージであり、
“先生”は共に闘った関西のアーティストたちだった。
経歴|レゲエの熱に生き、言葉で人を動かすシンガーへ
2006年。
奈良県のイベント「RUB A DUB」に出演した若き“山の王”は、
まだ誰も知らない名前だった。
だが、その声を聴いた者たちは口を揃えて言った。
「この男、ヤバい」と。
太く通る声、滑らかなフロウ、
そして何より“歌に本気の魂”がこもっていた。
関西を中心にクラブイベントへ出演を重ね、
地元シーンの中で少しずつ存在感を高めていく。
2010年、「寿君」として再出発。
音楽性もよりメロディアスに進化し、
リリックには“人の生き方”や“人生のリアル”が込められるようになった。
2012年、配信シングル『LONG DISTANCE』が全国的に注目を浴びる。
都会でも田舎でも、誰もが共感できる“距離と愛”をテーマにしたこの曲が、
彼を一気に全国区へと押し上げた。
そして2014年。
「REGGAE ZION AWARD 2014」でベスト・ジャパニーズ賞を受賞。
これは単なる賞以上の意味を持っていた。
長く“現場の男”として歩んできた彼にとって、それは一つの到達点であり、
「関西から全国へ」という夢が現実に変わった証だった。
以降もライブツアーや配信活動を精力的に行い、
SNSやYouTubeを通じてファンと直接つながるスタイルを確立。
時代が変わっても、寿君の根っこは変わらない。
マイク一本で人の心を震わせる──それが彼の原点だ。
結婚・家族|“愛”を歌う男のリアルと、語られない私生活
ファンの間でたびたび話題になるのが、寿君の“プライベート”。
果たして彼は結婚しているのか? 子どもはいるのか?
結論から言えば、公には一切明かされていない。
SNSやインタビューでも家族の話題は避けており、
私生活についてはベールに包まれたままだ。
しかし、彼のブログや楽曲には“家族”や“愛”という言葉が頻繁に登場する。
「将来、子どもと畑を耕したい」と書いたこともあり、
そこには温かな家庭を思い描く一面が見える。
彼の音楽を聴いていると、
恋人や家族に対する思いやり、別れや再会への優しさ──
そうした“人間らしい感情”が自然ににじみ出ている。
もしかすると、彼はプライベートを語らないことで、
“音楽で自分の人生を語る”というスタイルを貫いているのかもしれない。
結婚をしていようと、していまいと、
彼の音楽には常に「愛」がある。
それこそが、寿君というアーティストの一番の魅力だ。
これからの寿君|レゲエの未来を背負う“関西代表”として
関西の現場から、全国のフェスへ。
寿君の活動範囲は年々広がっている。
だが、彼の言葉に耳を傾けると、どこか地に足のついた感覚がある。
「地元を大事にしたい」「現場を忘れたくない」──
それは、音楽を“ビジネス”ではなく“生き方”として選んだ男の言葉だ。
SNSでは、仲間とのリハーサル風景や、ファンとの交流の様子を自然体で投稿。
ライブではMC中に笑いも涙もある。
そこには、**音楽が人をつなぐ“現場の魔法”**が息づいている。
40歳を迎えた今、彼の歌はますます深みを増している。
若いころの勢いだけでなく、人生経験からくる説得力が加わった。
これからの寿君は、“レゲエ”という枠を超えて、
人間としてのメッセージを広げていくのかもしれない。
関西の空の下、マイクを握り続けるその姿は、
まさに“山の王”の名にふさわしい。
終わりに
寿君の歩んできた道は、決して平坦ではなかった。
下積み、迷い、挫折──それでも音楽を捨てなかった男。
だからこそ、彼の歌はリアルだ。
夢や希望だけでなく、痛みも、涙も、全部抱えて前に進む強さがある。
彼の音楽を聴くたびに、思う。
「人は何度でも立ち上がれる」と。
──寿君。
その名がこれからも、日本中の心に“幸せ”を響かせていく。
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